神は天にいまし、世はこともなし

思考整理からすけべな話まで

ロッケンローラーとは斯く在るべき

思考整理。

 

最近その1

 

「疲れてるよね」と教えてくれる人がいる。

物事の表面だけを撫でて、舌で舐めとるような言葉でしか繋がらないタイプだから驚く。

アイスとホットで迷う季節を迎え。

2018年が終わろうとしている。

立ち位置を間違えると火傷をする。

知ってる。

美徳とは、土足で踏み込まないこと。

面白い上長だと思う。

教えてもらう。

どうやら感情のコントロールが難しい時期があるようだ。

欲求?

それは逃れられない?

左を向けば。

争いは同じレベルでしか発生しない。

とりあえず俺は俺でしかない。

20畳くらいに7人。

余裕だろう。

ブッこむ。

言葉とはその表面を撫でて遊ぶものだろう。

たまの直球くらいが丁度良い。

 

最近その2

 

5,6つ上の、遠くも近くもない友人がすい臓がんに罹ったという。

そんなに仲良くもないんだけど、深く衝撃を受けた。

 

「もしも今自分にそういった事が降りかかったら?」と考えるに、

とりあえず数人にお別れをして、身をくらますんだと思う。

いつしか彼女は言った。

「あまり自分のこと話さないよね」と。

その通りだと思うし、多分これからも変わらないことの一つだと思うし。

つまりは、ほんの一握りの人たちに分かってくれれば良いのだ。

 

最近は人よりも笑っていられて、美味しいものを食べて、よく働きよく眠れればそれで良いんじゃねーか?って思ってる。

普遍的な生活の享受。

でもどこかで未だに、退廃的で、ドブ臭くて、首をもたげるような暗闇の中、煙草と酒とセックスとボリュームを上げた音楽がなければ生きていけないような世界観は頭の片隅にある。

 

ふと、思うんだよなー。

 

諦観と反骨心は共存するのか?

包括して自己矛盾の塊になってきてないか?

悲劇的な振幅を繰り返しているのに、結局のところは「日常」という言葉に収めてないか?

 

人生、全ては自分で選んで、その選んだ道に殉じて死ねる。

そんな最高に滾る選択肢がそこにある。

自由を与えてくれている世界なんだからこそ、もっとバカになろうと思う。

 

自ら掴み取らねばならぬのだ。

手を伸ばせばいいだけなのに、傍観してそのまま沈んでいくだけだなんて真っ平ゴメンでござる。