神は天にいまし、世はこともなし

思考整理からすけべな話まで

諸君、おっぱいはB〜Cに限ると思わんかね

"過去をより遠くまで

振り返ることができれば、

未来もそれだけ遠くまで

見渡せるだろう。"

 

ウィンストン=チャーチル

 

割と格言とか名言を暇な時に見ては、その時の自分にしっくり来るものを胸に据えるのがクセ。

(政治学科にいたくせに)よくしらないけどカッケーよなぁと思ってるウィンストン=チャーチルの言葉はスゲー好き。

 

"決して、決して、決して諦めるな"

 

とかね。

ただの精神論に聞こえがちだけど、この言葉が発せられた背景を考えると、すごく響くものがある。

そもそも政治家の言葉として残るものではないだろうしね。

 

ともあれ、一度立ち返りたい時には誰かの言葉を知り、それを自身の中に入れ、循環させて、解釈する。

きっとその作業は自分にとってのデトックスみたいなもので、一つのことに盲目的になりがちな自分を立ち返させることができる。

 

そういう感じで言葉を知ることが好きだし、言葉を紡ぐことが好きだ。

言葉は思考の伝達者だし、何でもかんでも口にしろという訳ではないが、口にしなきゃ伝わらない。

が、沈黙も金。どないやねんって話だけど、人間関係という側面で見たら言葉にしなくても苦痛でないことは美徳だろう。

 

話は変わり。

 

"君の形 僕の形 重ねてはみ出したものを
わかり合う事をきっと愛とか恋と呼ぶはずなのに"

夕陽と星空と僕/岡野昭仁

 

基本的に晴一信者なんだけど、昭仁の歌詞はピンポイントで個人だったり、その時の心境や状況にハメてくることが多い。

特に鬱屈としている昭仁の歌詞は絶妙。

なんともない時に聞いてもピンとこないのに、少しでも掠めるとキメてくる劇薬みたいなもんだと思う。

 

自分がポルノグラフィティを好きになっていった大体の理由は、歌詞。さらにいうと曲と歌詞がマッチしている世界観が好きだから。

そういう意味では初期中期のミスチルも大好き。

万人ウケしているのに、ある特定の層だけ殺しにかかってくるあの感じがとても好きだ。

 

最近誰かに「好き」とか伝えただろうか。

最近誰かに「ふざけんじゃねぇ」と怒鳴っただろうか。

最近誰かを「まぁ気にすんなよ」って許しただろうか。

最近誰かに「ありがとう」って言っただろうか。

最近誰かに「サヨナラ」と見送れただろうか。

 

自分は今年の夏、大好きだったじーさんとばーさんに「ありがとう」って言えなかった。

死ぬほど迷惑かけて、死ぬほど愛されて、死ぬほど甘えていた彼らに、「ありがとう」と言えなかった。

 

危篤だと聞いた時、不思議と冷静な自分がいた。

けど、結局は冷静に見えただけで、速度を上げない電車とタクシーに苛立ったし、病院に着き「ダメだったよ」と告げられた時に自然と「ごめんなさい」と言って泣いた。

 

伝えられない後悔とはそこかしこにあって、伝えられる喜びなんて数多存在する。

自分が好きだと言っていた「言葉」だとか、「伝えること」だとか、何一つできなかったからこそ、見返しては確認するようになった。

 

と、まぁ。

 

そんなこんなで学び取って成長していっていると信じたい。いい大人だし、誰かの見本となっていきたい訳だし、だからこそ発信する。

 

諸君、おっぱいはB〜Cに限ると思わんかね?と。

(クソ無理矢理感)