神は天にいまし、世はこともなし

思考整理からすけべな話まで

drunkard's thinking circle

無関心と愛情

上と下

気まぐれと確信犯

天地

藍色と朝陽

思考と言葉

24時と0時

無音と残響

中央線と総武線

キックとディケイ

怒りと諦め

SEXと娯楽

10℃と36℃

iとme

1000と0

理解と余裕

理解と余裕

理解と余裕

理解と余裕

理解と余裕

理解と余裕

理解と余裕

操作と神様の考え方

操作と神様の考え方

無作為と運命論

行きずりとコンドーム

まぶたの重さまぶたの重さ

17mgの情景

「昨日はどう帰ったっけな」という日々が続き、繰り返される日々に判を押して、暗く小さい空間に響くラジエーターの唸り、カーテンの隙間から忍び込む外の光、9年という月日を数時間でなぞり、指が覚えてるテンポで歩き始めてる、線と点が織りなす人生を、誰しもが繋ぎたかっていて、それには喜びや痛みが多すぎて、分かり合える分かり合えると、説いては目は合わせられず、その場しのぎの無作為の着地点で、ほらそう言ったでしょという出来レースの悦に入り、言葉が持つ意味を考えず、放ったゼロ距離の罵倒で、リセットしたがる悪い癖と、25時の思考実験が手を繋いでベッドで寝ている、俺の目は耳は鼻は口は、言葉は哲学は思考は、頭は体躯は心臓は心は、所詮はモノだ、人は意味を持たせたがる、その場面その場面で奏でられた音と言葉が支配する、その場面その場面で変わった、17mgの煙の味が、今の俺の全てだとして、藍色に侵食されていく空色と、桃色の空色が重なった時間に、きっと俺の人生が終わっていたとして、幸せの形はきっと液体だったとして、零さない様に大切にしていたとして、掴めなけりゃ乾いていく有限性に惑わされているとして、器に小さな亀裂が入ってたとして、それを憂う時間じゃないと誰かが言っている、終電で誰かを待つ様な幼さと、始発の警告音に思う世界の裏側と、握った拳を振り下ろさない愚かさと、開きっぱなしのドアーをわざと強くしめる諦観が、とにかく限りうるボリュームを上げて、耳を塞いで息を潜めて、17mgの煙が好きだった、午前3時の寂れた公園が自分の全てを作ってしまった、この世界観の目で、どこまで呼吸を続けるのだろうか、いつか14Fから眺めたあの空の色を、思い出せる日がくるのだろうか

 

「昨日はどう帰ったっけか」という日々にも、連続性を持って違う顔の明日はやってくる、それでも町は廻っていくし、ふたりは所詮ひとりとひとりだ、信じられるのは冬の高い空の色と煙と音だけ、そうした情景を以って、生きていくんだろうね

 

結局は何も変わってないし、

結局は何も変える気がない

変えようとしてもいろんな顔が出来るだけ。

根っこが理解できてないから、お前は一生変わらないよ。

と、変わらない味が責め立てる、1:52

 

おやすみなさい

ロッケンローラーとは斯く在るべき

思考整理。

 

最近その1

 

「疲れてるよね」と教えてくれる人がいる。

物事の表面だけを撫でて、舌で舐めとるような言葉でしか繋がらないタイプだから驚く。

アイスとホットで迷う季節を迎え。

2018年が終わろうとしている。

立ち位置を間違えると火傷をする。

知ってる。

美徳とは、土足で踏み込まないこと。

面白い上長だと思う。

教えてもらう。

どうやら感情のコントロールが難しい時期があるようだ。

欲求?

それは逃れられない?

左を向けば。

争いは同じレベルでしか発生しない。

とりあえず俺は俺でしかない。

20畳くらいに7人。

余裕だろう。

ブッこむ。

言葉とはその表面を撫でて遊ぶものだろう。

たまの直球くらいが丁度良い。

 

最近その2

 

5,6つ上の、遠くも近くもない友人がすい臓がんに罹ったという。

そんなに仲良くもないんだけど、深く衝撃を受けた。

 

「もしも今自分にそういった事が降りかかったら?」と考えるに、

とりあえず数人にお別れをして、身をくらますんだと思う。

いつしか彼女は言った。

「あまり自分のこと話さないよね」と。

その通りだと思うし、多分これからも変わらないことの一つだと思うし。

つまりは、ほんの一握りの人たちに分かってくれれば良いのだ。

 

最近は人よりも笑っていられて、美味しいものを食べて、よく働きよく眠れればそれで良いんじゃねーか?って思ってる。

普遍的な生活の享受。

でもどこかで未だに、退廃的で、ドブ臭くて、首をもたげるような暗闇の中、煙草と酒とセックスとボリュームを上げた音楽がなければ生きていけないような世界観は頭の片隅にある。

 

ふと、思うんだよなー。

 

諦観と反骨心は共存するのか?

包括して自己矛盾の塊になってきてないか?

悲劇的な振幅を繰り返しているのに、結局のところは「日常」という言葉に収めてないか?

 

人生、全ては自分で選んで、その選んだ道に殉じて死ねる。

そんな最高に滾る選択肢がそこにある。

自由を与えてくれている世界なんだからこそ、もっとバカになろうと思う。

 

自ら掴み取らねばならぬのだ。

手を伸ばせばいいだけなのに、傍観してそのまま沈んでいくだけだなんて真っ平ゴメンでござる。

拝啓

久々に17mgの煙草を吸って、久々に昔を振り返ってみると。

漸くスタートラインに立てたなぁ、と。

 

けれど、それを報告するには一歩遅くて、残尿感に似たやり切れなさが残っている。

一言で言って仕舞えば、

「大好きだった人に伝えられず、その人は逝ってしまった」という何でもないことなんだけど、こういう事って少し心に残るものがあるよね。

 

大学出てからも定職につかず、フラフラと。

モラトリアムが長引いて、自分が何者なのかよくわならなくてその日暮らしを続けていて。

金がキツくなったら煙草貰いにバーさんとこいって、社会の厳しさ()を酒飲んでよく説かれたっけか。

それでも愛されていたと実感できるのは、あの人の懐の深さと情の厚さだったんだろう。

 

ポックリ逝っちまいやがって。

急性心不全。あなたらしいっちゃらしいが。

 

色々と教えてくれてありがとうございます。

まだまだこれからだけど、いい会社に入ったことがゴールではないけれど。

ようやくまともに生きてますと言える気がします。

 

忘れないように生きていきます。

以上

reserved reserved reserved

思ってもなかったモノが当たり前となり、欠かせないものとなり、生活の一部になっている。

 

そういったものを如何に早く気付けて大切にできるかが肝要…だなんて、わかってるのに学ばない。

そして逆に言えば、そうではないものは早く断ち切るべきなんだろう。

人の手の大きさは決まってて、それが持てる荷物の量はたかが決まってて、大切なものを離さず掴む力なんて尚更だろう。

 

有り体なものとして、愛だとか夢だとかか。

そしてそういったものが歌になりやすくて、4分5分のコンパクトさで胸に収まっていくんだな。

 

てか、

 

今更ながらこのブログは基本的にポルノグラフィティの楽曲を挙げることが多い。

そして今回の心境で挙げるならば、"ひとひら"だなぁ。

 

さて。

 

再三書いてるけど、もうそろそろ20代が終わるので、振り返ることが多い。

そして大抵思い出すのは昔の夢や、恋人のこと。

その時大したものではなかったものが、今見返してみればすごく尊い

さすがにその場から立ち直れないだとか、思い返して涙するとか、そういったことにはならないのだけども。

たまに振り返っては思い返して、今ならわかること達を数えてみるのだ。

 

風が吹くと鬱陶しいくらい、眼前に舞った桜吹雪とか。

その長い長い街路樹を駆けた、ボロいママチャリだとか。

学校サボってバンド練習していた日々だとか。

夕陽に向かって伸びる、川べりの帰路だったりだとか。

受験に合格したのはいいけど、燃え尽き症候群になり引きこもった、灰色の大学生活だとか。

人は、容易く人を傷つけることができると学んだ1日だとか。

その中で腐ってた自分を好いてくれていた人だったりとか。

 

そんなものが時間の経過とともに、塵芥となって蓄積し、自分が立っている場所になっている。

 

月並みだけど音楽が好きが良かったと思うのは、その当時よく聞いていた音楽がその時の心境や景色を蘇らせてくれることだ。

 

行き詰まった時、それらを眺めては今の自分を奮い立たせている。

性欲に身をまかせる男子中学生のようなもので、そんなガムシャラ感が今の生活にあるし。

 

そして。今まで培ってきたもの、そうやって自分の中で蓄積していたものを踏み台にして、どこまで飛べるかどうかを試している途中だ。

それでダメだったら仕方ないし、成功したら嬉しいし。

ただチャレンジできるだけ幸せなんだろうな、と感じる今日この頃です。

 

だから、というか。

また10年後も20年後もそう言えるように、そうできるように、今の当たり前ってやつを大切にしなきゃならないなと感じたんだな。きっと。

そうやって繰り返していく性分だと気付いてる。

 

価値観なんてそれぞれだし、良し悪しや幸福論なんて千差万別だけど。

だから人によってそれぞれ違う当たり前さえも、尊重しなければならないな、と。

 

それが出来るのが大人だし、男だろうと。

 

そんなことを先の曲を聞いた、今の僕は思いました。終わり。

あ、おっぱい揉みたい。ひんぬー。揉みたい。

ユメマボロシガムゲン

こんにちは。寒いですね。マジで。

というか、もう2017年が終わるって本当ですか。そんなんあっという間にじーさんですよ。あなた方もじーさんばーさんですよ。2020年という響きが殺しにきてるよ。どーすんのさ。

ここ5年のスピードがとんでもなく早い。果たして何が変わった?何を捨てて、何を得た?挙げてみっか。

 

・痩せた→12kgDOWN!

・臓器一個取った→要らないやつ取った!

・独り身を満喫してる→くりぼっち

・転職した→現在進行形で鍛えられてます

・バンドは続けてる→ドラムは成長しない

・引っ越した→都内某所から離れられない

・毒やトゲトゲしさがなくなった→もっとギラギラしていたい感ある

・若い子の話についていけなくなったっぽい→おわた

・3回も4回ももう無理です→翌日のことを考えてしまうようになった。これは守りッッ!!守りの考えッッ!!

・お酒強くなった→一口二口で気持ちよくなってたのが、何杯か行けるようになった。完全に周りの所為。

・ファッションや聞く音楽の変化→時代への迎合をするようになった。

 

…あげてみると結構多いね。5年もありゃ人は変わるか。

 

さて、

 

基本的に、全く夢を見ないんですよ。睡眠の方ね。

ごく稀に見るのは大抵幼い頃の何処かも忘れてしまった景色の中。

 

中華街的な路地裏だったり、霧の深いディズニーランドの海?みたいなところに船が止まっていたり。

そこで何をするわけでもなく、自分はその景色を眺めて目を醒ます。行ったことあるのかもわからない。存在するのかも不明。

 

もっと色んな夢を見てみたい欲求があるんだよね。

スリリングな夢や、ドドドド変態な夢や、もう叶いそうにない事柄のあれこれを夢の体験くらいしてみたい。

…あ、夢見てるわ。仕事の夢。ハハッ、泣いていいかな。

 

そういえば昔は睡眠障害を抱えてて、過眠に悩まされてた。

目覚ましを5〜6個セットしても、全く無反応。気づかない。その所為で高校時分はあと一つの授業を欠席してたら留年するところまでいってた。あぶないあぶない。

12時間〜15時間寝るのは当たり前で、寝るのが怖くなっていく。

果たして明日は何時に起きられるのか、遅刻してしまうのではないか、ダメ人間の烙印を押されてしまうのではないだろうか、と。

(今はダメ人間の烙印を喜んで押されに行きます)

 

だから中学時分から日の出が出るまで起きていたり、過眠なんてものを抱えていながら生活リズムがガッタガタになっていた。

 

けど良かったこともある。

 

よく考えなくても不良だけど、14歳頃から帰宅が2〜3時だったり。その間、川べりでMDプレーヤー(死後)で一生ポルノ聞いて日の出を迎えたり。あの時期はとにかく夜から、眠りから逃げていた気がする。

けどその時、サッカー部でガチでやってて。疲れ切った脳みそと身体でそんな時間なんて、ドロドロな訳ですよ。

あの夢と現の狭間の感覚は、ある意味快感だったのかもね。

そしてその中で、一人で考える深さは手に入れられたんじゃないかなと。ポルノとか音楽とか言葉が人生の真ん中らへんに置かれたんじゃないかなと。

 

わたしゃ、そう思うのですよ。

 

…あの頃、同じ環境にあって付き合ってくれていた女の子は少し前に結婚しましたね。これも時の流れや。こわい。

 

因みに睡眠障害が治ったのは大学の途中から。

何が原因だったかはわからないけど、徹底して体質改善に努めた記憶はある。

「治った!!」って喜びはなかったけど、朝起きて真っ当に仕事ができる喜びは今、噛み締めている。

 

てな訳で。

 

どうやったら夢って見られるんですかね?

コントロールできる人いたら教えて。

何回か見ることができるのなら、いつかは素敵な夢を見れるでしょうて。

 

おっぱい。

諸君、おっぱいはB〜Cに限ると思わんかね

"過去をより遠くまで

振り返ることができれば、

未来もそれだけ遠くまで

見渡せるだろう。"

 

ウィンストン=チャーチル

 

割と格言とか名言を暇な時に見ては、その時の自分にしっくり来るものを胸に据えるのがクセ。

(政治学科にいたくせに)よくしらないけどカッケーよなぁと思ってるウィンストン=チャーチルの言葉はスゲー好き。

 

"決して、決して、決して諦めるな"

 

とかね。

ただの精神論に聞こえがちだけど、この言葉が発せられた背景を考えると、すごく響くものがある。

そもそも政治家の言葉として残るものではないだろうしね。

 

ともあれ、一度立ち返りたい時には誰かの言葉を知り、それを自身の中に入れ、循環させて、解釈する。

きっとその作業は自分にとってのデトックスみたいなもので、一つのことに盲目的になりがちな自分を立ち返させることができる。

 

そういう感じで言葉を知ることが好きだし、言葉を紡ぐことが好きだ。

言葉は思考の伝達者だし、何でもかんでも口にしろという訳ではないが、口にしなきゃ伝わらない。

が、沈黙も金。どないやねんって話だけど、人間関係という側面で見たら言葉にしなくても苦痛でないことは美徳だろう。

 

話は変わり。

 

"君の形 僕の形 重ねてはみ出したものを
わかり合う事をきっと愛とか恋と呼ぶはずなのに"

夕陽と星空と僕/岡野昭仁

 

基本的に晴一信者なんだけど、昭仁の歌詞はピンポイントで個人だったり、その時の心境や状況にハメてくることが多い。

特に鬱屈としている昭仁の歌詞は絶妙。

なんともない時に聞いてもピンとこないのに、少しでも掠めるとキメてくる劇薬みたいなもんだと思う。

 

自分がポルノグラフィティを好きになっていった大体の理由は、歌詞。さらにいうと曲と歌詞がマッチしている世界観が好きだから。

そういう意味では初期中期のミスチルも大好き。

万人ウケしているのに、ある特定の層だけ殺しにかかってくるあの感じがとても好きだ。

 

最近誰かに「好き」とか伝えただろうか。

最近誰かに「ふざけんじゃねぇ」と怒鳴っただろうか。

最近誰かを「まぁ気にすんなよ」って許しただろうか。

最近誰かに「ありがとう」って言っただろうか。

最近誰かに「サヨナラ」と見送れただろうか。

 

自分は今年の夏、大好きだったじーさんとばーさんに「ありがとう」って言えなかった。

死ぬほど迷惑かけて、死ぬほど愛されて、死ぬほど甘えていた彼らに、「ありがとう」と言えなかった。

 

危篤だと聞いた時、不思議と冷静な自分がいた。

けど、結局は冷静に見えただけで、速度を上げない電車とタクシーに苛立ったし、病院に着き「ダメだったよ」と告げられた時に自然と「ごめんなさい」と言って泣いた。

 

伝えられない後悔とはそこかしこにあって、伝えられる喜びなんて数多存在する。

自分が好きだと言っていた「言葉」だとか、「伝えること」だとか、何一つできなかったからこそ、見返しては確認するようになった。

 

と、まぁ。

 

そんなこんなで学び取って成長していっていると信じたい。いい大人だし、誰かの見本となっていきたい訳だし、だからこそ発信する。

 

諸君、おっぱいはB〜Cに限ると思わんかね?と。

(クソ無理矢理感)